前提:私たちは、研修を受けている
著作権・肖像権は、全員が公費で学んだ「共通の基準」
昨年、私たち三郷市議会の議員は、議会の研修費を用いて「SNSとインターネットリテラシー」の研修を受けました。そこでは特に、著作権・肖像権の注意点が明確に示されています。メディアの画像を個人のSNSに流用しないこと。著作権の出所が不明な画像を使わないこと。写り込む人の肖像権に配慮すること——。これらは誰か一人の意見ではなく、公費を投じて全員が共有した、客観的な基準です。
これまで、あえて触れずにきた
個々の議員の課題であって、議会の問題ではないと考えていた
その研修を受けたはずなのに、正直に言えば、著作権や肖像権は大丈夫だろうか、と感じる投稿も見受けられてきました。ただ私は、これを議会という組織の問題ではなく、個々の議員が各自で正すべき課題だと捉え、あえて表立っては触れずにきました。人の発信を、私が主観で論評すべきではないと考えたからです。
順序が、逆ではないか
主観で他者を評する前に、まず法令を
しかしいま、各会派の代表者が集まる代表者会議という「場」で、個人の主張や発信に対して、主観的に「問題がある」と評する動きが見受けられます。
私は、順序が逆ではないかと感じています。誰かの表現を主観で裁くより前に、まず全員が、研修で学んだはずの法令——著作権・肖像権——を守ること。そこが先ではないでしょうか。客観的な基準が足元で守られていない状態で、主観で他者を評し始めれば、議論の土台そのものが崩れてしまいます。
主観ではなく、法令という共通の物差しで
「品位」という主観で、表現の自由を奪わない
議員のSNS発信は、日本国憲法第21条が保障する表現の自由に根ざした政治活動です。それを「品位」のような主観的な尺度で「問題だ」と定義してしまえば、議会が自ら、議員の表現の自由を奪う行為になりかねません。
令和8年7月の埼玉県知事の審決も、主観的な評価だけでは非違行為があったとは認定できない、という趣旨を示しました。問われているのは、評される側だけではありません。評する議会の側の「法令に対する正確性」もまた、同じ厳しさで問われています。
共通の物差しに、立ち返るために
誰かを責めるためではなく、土台をそろえるために
これは、特定の誰かを名指しで責めるための主張ではありません。私が言いたいのは順序です。私たち全員が公費で学んだ客観的な基準——著作権・肖像権——を、まず自分たちが守る。その上で、主観ではなく法令に基づいて議論する。それが、多様な声が反映される議会への、当たり前の一歩だと考えています。
その前に、著作権・肖像権を守ろう——私が言いたいのは、まずそこです。
あわせて読む
発信について考える
・ソーシャルメディア・ガイドライン — 私の発信の決めごと
・災害時の情報発信の指針 — 発信しない、という選択
・議員の情報発信をめぐる条文の整理 — 根拠となる規定
・庁舎内映像の問題 — 情報はどう扱われたのか